今年の初詣は丈六寺に行ってみました。 参拝客も少なく静寂で厳かな雰囲気が漂っていました。丈六寺は徳島市に所在する曹洞宗の寺院でして県内の寺院の中では文化財が多く 『阿波の法隆寺』とも呼ばれるそうです。 実際の法隆寺をご存じの方は「何処が?…」と思われるやも知れませんが どうぞ大目に見て下さいませ^^; 寺の歴史は、白雉元年(650年)に関東地方よりたどり着いた尼僧が、 この地に庵を構えたことに始まると伝えられています。本堂三門観音堂経蔵 等、数多くの重要文化財があります。 また、この寺院には「血天井伝説」という悲しい史話が残っています。 ウィキペディアによると 戦国時代、土佐の戦国大名長宗我部元親は阿波国に攻め込んだが 那賀郡を治める牛岐城(富岡城・阿南市富岡町に位置する)の主、 新開遠江守忠之が大変勇猛で攻めあぐねていた。 元親は一計を案じ、和議を申し入れた。 天正9年10月16日(新暦1581年11月12日)新開遠江守忠之を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。 和議の条件として、四国統一の後には新開氏に富岡城主の地位を確保し勝浦郡を与える という案を示すと、その好条件に新開氏は満足して酒宴は盛り上がった。 新開氏が夕刻になり帰ろうと縁側に出たところ、隠れていた元親の家臣達に襲撃された。 新開主従も応戦したが、多勢に無勢で全員殺害されてしまった。 との事です。 この時の手形や足形の血痕は、拭けども洗えども消えなかったと言われています。現在、この板は寺内の徳雲院の天井板として用いられており、血に染まった手形・足形らしき跡があります。 片や そんな悲劇の主人公、新開遠江守忠之の居城だった阿南市富岡町の牛岐城跡は…… ジャ~ン! 平成18年に 『恋人の聖地』 として認定されLED(発光ダイオード)で美しく彩られた公園に生まれ変わりました!!静かに歴史を刻み続ける丈六寺と変化を遂げた牛岐城跡……でした^^
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